★★真冬の羅臼紀行★★

2001年2月、まっちゃん知床探検隊(但し隊員は1名、現在募集中!)はよんざえもんこと町田さんとの再会をはたすため、そしてスケソウ船への乗船や流氷ダイビングを体験するためはるか北の国、北海道は知床へ行くことを決意した。
北の国の大自然そしてその土地の暮らし、出発を前に期待は高まるばかり...
一方家族といえば、この厳寒の地で腐った根性を鍛え直し、これまでの悔いを改めてくれる....そんなことをことを密かに願っていた(笑)

☆前夜(2月3日)
夜、町田さんから電話があった。猛吹雪の為、羅臼は陸の孤島状態だと.....しかもこれだけ吹雪くことは珍しいと←羅臼め、まっちゃんを拒んでいるな(▼▼〆)
しかし、もうすでに中標津までの航空券は購入済み。道が開通しなければ羅臼を目の前に足止めをくうことになるが、もはや行くしかない。日頃行いの良い?私の事、きっと天気は回復するさっ←わりと楽観的(^-^)

☆いざ羅臼へ(2月4日)
早朝4時半、目が覚めた。昨日のどんちゃん騒ぎでのアルコールは抜けていたものの、風邪は完治していなかった。これから厳寒に地へ行くというのになんということだ。これでは機内のビールも楽しめないではないか!←まだ余裕(^^;
時間までかなり、いやムチャクチャあるが(ちなみに出発は10時)関空へ向かうことにした。

流石に早朝の空港は人気が無い←当然だ!とりあえずお茶でもしようかと思ったがやはり開いていない←まっちゃんショック!
しかたがないので風邪を治すためロビーで寝ていよう←そんなことで治るか!

9時、いよいよフライト。まずは札幌へ。機内アナウンスで現地の気温はマイナス19度と告げられた。流石にどよめきが....これからスケソウ船に乗ったり、流氷ダイビングをする私も流石に不安になってきた。風邪のせいだろう、もし体調万全ならきっとこう思ったに違いない。「こんなことでどよめきやがってよー」。しかし今の私は機内の皆さんと同じ心境であるということが冒険家?まっちゃんとしてとても残念だ(^^;
12時、札幌到着。ここから中標津までさらに1時間、流石に観光客らしき人は少ない。なんだかいよいよ探検隊らしくなってきたゾ♪

1時過ぎ中標津空港に到着。ついに来た!とりあえず万歳三唱♪
まっちゃん知床探検隊を一目見ようと?(実は買い物のついで...)町田さんご家族が旗を持って←そんなもん持つか!迎えに来てくれた。
「町田さんみっケ♪」とは流石に言わない。久しぶりの再会とこれから始まる旅への期待でドキドキワクワク(^-^)
早速予約してあったレンタカーで羅臼の町へ。レンタカー屋のお兄さんや町田さんから雪道の怖さをじっくり講習?してもらい、くれぐれもゆっくり走るように言われた。しかしそう言われるとよけいにスピードを出したくなるのが人情ってモンダ。地元の人は、時速80キロで走るそうである。初めてのスタッドレスタイヤは思ったより快適である♪こうなればもうこっちのモノ、気分はすっかり北海道人、禁断の80キロへアクセル全開!

夕方、民宿本間さんに到着。おかあさんが出迎えてくれた。ここはホームページをアップしてあったので、予めどんなところかとチェックしておいた。おかあさんは写真よりずいぶんと若く見えた、ショートカットがよく似合う←少しショート過ぎる気もするが(笑)30年前に出会っていたら?....とは思わなかった。おとうさんはといえば、さすが北の酒場.....もとい漁場で生きる男、もちろん定番のパンチパーマ!やはりこれきゃなでしょ(^^;いよ!サブちゃん!!

今日の夕食は町田さんと知床倶楽部の羆さんこと石見さんが経営する"いわみ"さんのところで食べることに。まず最初に出てきた物はウニ、もちろん羅臼産。ムチャ甘〜い、これは美味い!続いてのキンキは圧巻だった。これほど美味い魚だったとは見かけからは想像できなかった。そしてさけのカマ(ちなみに町田さんは身だった)こんなところにも旅人を歓迎する心配りが....嬉しい限りである。出る物すべてホント美味い♪最高!しかも町田さんのおごりだった、絶対来年も来よう!そう心に誓った(^-^)
ご主人の石見さんも、とても親しみのある人でますますこの町が好きになってきた。美味い魚!温かい人これがこの町の魅力なんだ....実感!

☆スケソウ船に同行(2月5日)
スケソウダラの漁は1月から3月まで流氷の中行われる。
早朝5時、お願いしてあったスケソウ船へ乗せてもらうため羅臼漁港へ。
漁港はスケソウ船の明かりでまるで昼間のよう。
6時出港、寒さで固まった氷をかき分け船は進んで行く。船は単独行動ではなくグループを組んで行動する。船内では無線を通して他船となにやら会話がなされている。これがけっこうバカなこと言ってる(^^;ほとんどが雑談のように聞こえた。しかし一見たわいのないような会話でも、こうして絶えず交信し続けることが実は重要な役割を果たしているのであろう。

スケソウダラは刺し網漁で捕獲される。
漁場に付くと早速、前日からしかけてあった網を引き上げる。おお!とれてるとれてる。次々にスケソウダラが船内へ引き上げられる。さあ忙しくなってきたゾ!網を巻く人、網から魚を取り出す人。
1回目の網が全て巻き上げられると休む間もなく次の場所へ移動。この間船内では魚の仕分け、箱詰めと作業が続く。この厳寒の中での作業は並たいていではない。流石は他地区の漁師もビビる厳寒のスケソウ船。私なんぞは立っているのがやっとだった(^^;
2回目の網が巻き上げられ港へ向かったのは12時前。漁師のお兄さんに「大変だネ」と言うと「たいしたことないヨ」とあっさり言われてしまった←流石にウソツケ!と言える状況ではなかった。
今日はまあまあの収穫だったようだ。思わず水揚げされた魚をみて、これだと今日の売上は○△万円だなと商売根性丸出しで本能的に計算してしまった自分が情けない(ーー;)
ここで少し羅臼のスケソウダラ事情に触れておこう。
平成2年を境にスケソウダラは激減しているそうだ。最盛期には今の10倍もの水揚げがあり町そのものが活気づいたという。一攫千金を求めて家族の元を離れ、出稼ぎに来る人も多かった。ではなぜそれほど激減したのか?
知床半島から国後までわずか数キロ。この狭い海域が世界有数の好漁場である。しかしそのちょうど真ん中にロシアとの境界線がある。
数年前、このロシア側海域にトロール船(主にロシアの許可を得た韓国船)が出没。羅臼の刺し網漁と違いこのトロール船は魚を根こそぎ捕獲してしまうそうだ。この影響でタラが激減したと船頭の佐々木さんや本間さんは言う。もちろんロシア海域に踏み込めば直ちに拿捕される。本間のお父さんも昨年の3月まで漁師をされており、拿捕された経験もあるというから驚き。その当時で1億円以上もする船が没収され、しかたなく飛行機で本国へ帰ってきたと言う。しかしここではけっして珍しくないことで、現在でも拿捕されると半年は帰れないそうだ。

元漁師だった本間さんがこんな話を聞かせてくれた。この仕事は、最盛期の時であれ、けっして見た目ほど良いモノではなかった。船への出費は莫大なモノであるし、人も大勢雇わなければならない。事故もある、海に落ちれば30秒と持たない。毎年今の時期は戦争で、苦労が絶えなかったと。どこの世界も同じなんだ、見た目からは想像できない苦労がある....改めてそう実感した。

☆流氷ダイビング(2月6日)
流氷が訪れる羅臼はダイビングのメッカ、そう思っている方も多いと思うが決してそんな所ではない。
民宿のお母さんもダイビグをするといえばかなり驚いて.....もとい呆れていた。やはり変わり者なのだろうか?冒険家ということにしておこう。
早朝、風邪が完治していない。しかしここで諦めればまっちゃん知床探検隊の名が廃る。 やるぞ!と決意を新たにいざ出陣?

ついに決戦?.....もとい決行の時が来た。水温はマイナス3度。かなり着込んでいるため、体に約20キロものウエイトを付ける。もう身動きできない。この状況でトラブルが発生したら、生還できる保証は無い。恐る恐る海へ向かう。そしてついに足を入れたその瞬間!
びえ〜〜〜(@@;)こりゃやっぱダメだ〜。しかし多くの子供たちの夢を背負った?まっちゃん知床探検隊、こんなことで引き下がるわけにはいかない!しかし体が沈まない。見かねたガイドさんが沈むのを手伝ってくれた。「ヤメロ〜!なんてことするんだ!冷たいじゃないか〜コノヤロー」....とは言えない。なすがままである。
しかし完全に体が海に入った時、頭上に流氷が広がっていた。
こ、これが下から見る流氷、なんて神秘的な世界なんだ。この感動は言葉では言い表すことができない。気分は世界的冒険家だ(^-^)来て良かった....ほんとにそう思った。
ダイビング終了後、早速家内に無事生還したことを伝えるメールを出した。家族中が割れんばかりの拍手?....とりあえず一安心はしたようだ。
もちろん家に帰ってからは、まるで今回の流氷ダイビングが偉業であるかのごとく大げさに語った(^^;

ここで知床ダイビング企画の関さんについて少し触れておこう。
彼は水中写真家として世界的に有名である。ここには流氷の他にもクリオネ・アザラシ・トドといった内地では見ることのできない生物がたくさん生息している。そんな中、彼を世界的に有名にしたのは、タコイカの産卵を納めた一枚の写真である。
タコイカとは足が8本あるイカ?(タコ?)で非常にめずらしく、しかもその産卵を収めたとなれば世界的価値だそうだ。こういった貴重な写真を撮れたのも彼がこの土地に根ざしたからにちがいない。

☆秘湯
ダイビング終了後は近くの温泉へ。
熊の湯という温泉で山の中にあり、これがまた秘湯中の秘湯といった感じ。しかも入浴料はタダというからありがたい(^-^)しかしここ北海道ではそれがあたりまえだそうだ。雪も降っていてとにかく寒い。服を脱ぐともはや耐えらる状態ではなく、目の前のお湯にいちもくさん......するとその瞬間!地元のおじさんが「かけ湯して入れ!」と一撃!「そんな場合か!ドアホ!」とは言えない(ーー;)寒くて凍えそうだと思いつつも、ここは逆らわずに(そう、おじさんは一応正論を述べているのだから)一応ポーズだけは示しておいた。しかしこの寒さの中の温泉はたまんね〜♪雪景色がまた良い(^-^)地元の人はしょっちゅうこんなとこタダで入っているのか、うらやましいゾ!おじさんには「ここのことはあまり他の者に教えるなヨ」と言われたが←おじさん正論述べるわりにはせこいゾ!「絶対みんなに言いまくってやる」っと心に誓った。
夕食の後は、知床倶楽部で町田さんとギターの共演♪石見さんも来てくれた。ここではじめてあの知床旅情には、実は別バージョンがあるってことを聞かされた....勉強!ちなみにこの曲もともとは、"さらば羅臼"というタイトルだったそうです。この羅臼には作者の森繁久弥さんのブロンズ像だってあります。来春には知床倶楽部にまっちゃん知床探検隊の銅像が完成する予定です(笑)

☆オホーツク海(2月7日)
4日の朝、ここ羅臼側にもかなりの流氷が接岸していた。しかし今日は特に予定もないのでウトロ側すなわちオホーツク海へ向かうことにした。車を走らせること約2時間、ようやくオホーツク海が見えてきた。羅臼側とはまるで別世界、流氷というより氷の海である。なんとダイナミックな光景なんだ!これには驚いた(@@;)写真では見ていたものの圧巻である。羅臼の人は「あんなの流氷じゃない、ただの氷の固まりダヨ」と言っていた。とかく比較されがちな羅臼とウトロ....こんなところにもライバル意識が....(^^;
羅臼側の流氷が女性的であるのに対してこちらは男性的である。

夜は町田さん(←写真)ご家族とオーロラショーを見るために再びウトロへ。しかし間一髪間に合わなかった....残念!奥さんボーゼン。もし私がいなければ町田さんはボコボコにされていたにちがいない(^^;
道中、私にとってはとても貴重な時間ができた。それはいろんな話ができたからである。町田さんはかつてこの町の商工会・青年部長を務めており町に対する思いが非常に強い。そして自分自身の商売や町との関わり方を真剣に考えている。お互い考え方に相違はあるものの共感できる部分も多々あり、今まで以上に身近な存在となった気がした。そして何よりも嬉しかったことは、本気で語ってくれたことだった。
石見さんもそうであった。この町のことを真剣に考えている。
彼らの羅臼という町への愛着心が、仕事の原動力となっている....そう確信した。

スケソウ漁も激減した今まさに羅臼は変化の時を向かえている。
今後この町がどういう方向へと進んでいくのか、遠い町から見守っていこう...........

Special Thanks to
よんざえもんこと町田さん&町田さんご家族
羆こと知床倶楽部のマスター・石見さん
民宿本間のお父さん、お母さん
スケソウ船の船頭・佐々木さん&漁師の皆さん
漁師の小倉さん
知床ダイビング企画の関さん、仙石さん

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